令和元年(2019年)戦後74年目の夏がやってきました。その八月を目前に広島・平和公園の「原爆資料館」が大改修されました。当時を知る被爆者が年々減り続ける中で、被爆
体験をどう後世に伝え残すのか・・・
「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」現実の今を生き、この先の未来を築く世代に対して、理念を説くことの難しさを感じながら10人が綴っています。 ちなみに、私は二歳・・進駐軍(USA)から提供された殺虫剤(DDT)を頭から浴びせられ、ドングリの実を晒して粉にしたパンをかじり、たんぼでイナゴをつかまえてオヤツにしていた。それでも恵まれていた。そんな時代でした。
21日の参議院選挙では「日本が核の唯一の被爆国として、世界平和に向き合う姿勢が問われる立場である」そのことを十分理解出来ている人。それを選択肢の「基準の一つ」にして投票します。