「伴子なんです。」と、繰り返して云い、
「おわかりになりません?」
恭吾は、目がうるんで来ていたが、姿勢も表情もみだれず、
伴子が見ても静かなのが美しいくらいであった。
「ひとを驚かさぬことだ。」と、おだやかな声で、低く云った。
恭吾は、伴子を見詰めたままであった。その目の色が、
止め度もなく深くなって行くように見えただけである。
唇が微かに慄えた。
「知らないとはね。」
と呟き、その剃那に、恭吾の頬に、影が走った。
なつかしむ前に悲しく、やるせない思いや、この世に生きている
淋しさが、一時に心にのしかかって来たのを、
強い自制で歯止めを掛けて動かさなかったのである。
父親が我が子の前で、喜劇の役をした。恭吾はこう考えた。
「可哀想なことをしたな」・・・
戦争の末期を異国で孤独に生きてきた父と、4歳で別れた娘の出逢う
「帰郷」のクライマックスシーン。
出逢いの場所が京都金閣寺であるのを、奈良の法隆寺と
記憶違いをしていたのは、その頃訪ねたことのある、
法隆寺からの強い印象のせいなのかとも思います。
当然ながら、学生で人生の何かもわからない時期に
手にして読んだ感動と
長い時間の経過の中で、多少の苦楽を積み
妻や娘を持って読む、今の感動ではその深さは違っています。
そして、昭和23年5月から毎日新聞に連載された物語でありながら
今の日本が歩んでいる方向への警鐘と、進むべき方向について改めて
訴えているように思えてなりませんでした。